HAPPY OLD YEAR

(監督・脚本:ナワポン・タムロンラタナリット/主演:チュティモン・ジャンジャルーンスックジン/2019年)

 

 

タイの新進気鋭の映画監督・ナワポン・タムロンラタナリットがメガホンを取り、第15回大阪アジアン映画祭でグランプリを受賞した作品。彼の作品が日本で正式に劇場公開されるのは、この作品が初めてとのことだ。

 

写真とイラストを組み合わせたおしゃれなポスタービジュアル、そして、私が最近気になっている断捨離(ミニマルな生活)がテーマであること。この2点が鑑賞の大きな理由。劇場で見た予告編も良かったし、何しろ、タイの映画を見たことがなかったので、どんなものなのだろうと気になって、足を運んだ。

 

全体のビジュアルや予告編の雰囲気から、てっきりコメディだと思い込んでいたのだが、全然違った。ものすごく胸にグッとくる、思わず涙をこぼしてしまうほどのヒューマンドラマ。

 

 

舞台は、タイの首都・バンコク。3年間のスウェーデン留学から帰国したデザイナーのジーンは、母と兄と暮らす自宅をオフィス兼自宅にリフォームしようと思い立つ。

 

かつて、家族を捨てて家を出た父親が音楽教室を営んでいたビル。ありとあらゆるガラクタが散乱し、さながらゴミ屋敷のような自宅を、北欧風のミニマルスタイルなオフィスにするべく、ジーンは大掛かりな断捨離を開始する。

 

・ゴールを設定する

・想い出に浸らない

・感情に溺れない

・迷わない

・もう物を増やさない

・振り返らない

 

この6つをガイドラインに、「ゴミ袋はブラックホールなの。一度入れたら、自分が何を投げ込んだか、忘れさせてくれる」と、片っ端からどんどんとモノを捨てていくジーン。

 

しかし、親友からもらったCDを捨てたことが本人に知られ、口論になったのをきっかけに、捨てることへの罪悪感が芽生えだす。

 

そして、友人たちから借りたさまざまなモノを、本人へ返すことを始めたジーン。そのなかには、かつてケンカ別れし「あんたがしたこと、私は忘れないから」と再会を無下にする友人もいれば、別れも告げず離れてしまった元恋人もいた。

 

さらには、家を出て行った父親が残したグランドピアノを捨てることを、母が大反対し、大ゲンカ……。

 

 

ジーンは、モノを手放す行為によって、これまでの自分や他人との関係性、向き合わずに逃げてしまったものとことごとく対峙する。物理的に捨ててしまえばモノはなくなるけれど、自分の心、そして相手の心は、簡単にはなくならない。

 

そのことを、ジーンはこの断捨離によって、痛いほどに思い知るのだった。

 

 

今読んでいる本『時間とテクノロジー(佐々木俊尚著・2019年)』に、「過去」に関する記述があって。

 

著者は「人間の脳は、過去に起きたことを正確に記憶するのではなく、さまざまな出来事の中から印象深いものだけを選んで記憶し、その中身も時間が経つにつれて変化していくようなメカニズムになっている」と書いている。

 

「記憶を変化させ、捏造してしまうことで、過去の体験を私たちは抽象化し、生きていくためのスキルとして蓄積できるようになる」とのこと。

 

そんな記述を読んだ直後に映画を見たものだから、ジーンがしているこの断捨離は、記憶を呼び起こして、抽象化して、生きていくためのスキルを身に付ける荒治療なのかもしれないなと思った。

 

 

作品中に、ジーンの元恋人が言う「君は僕に謝ったけれど、それは自分自身のためだ。自分がしたことを精算するためのものでしかない」というようなセリフがあって。

 

ジーンは「違う。そんな理由で謝ったわけじゃない」と言い返すのだが、痛いところを突かれたというか、おっしゃる通りですというか……。

 

また、何年も連絡を取っていなかった父親に、ピアノを捨てていいか聞くために電話をするものの、冷たい態度をとられてショックを受けたり、それを母親に話して母親と口論になったり。母親をだまして外出させ、その間にピアノを捨ててしまって母親が激怒したり。

 

「モノを捨てる」という行為をしなければ生まれなかった感情や、他人との本音でのぶつかり合いが巻き起こって、ジーンの心を揺さぶり続ける。

 

その一つ一つのシーンで、登場人物の心の動きが丁寧に描かれていて、見ているこちらも、心が揺さぶられた。

 

ナワポン・タムロンラタナリットという監督は、見る人が映像から読み取るものの質や量と、映像を作る側が見ている人に感じてほしいもののバランスを、すごく上手にとって作品を作る人なんだなという印象を受けた。

 

登場人物にここまで話させてわかりやすくしよう、ここからは見ている人が感じ取ってくれるから大丈夫、と、観客に一定の信頼を置きつつ、自分の感性を表現しているというか。

 

とにかく、無駄なセリフとか、無駄なカットがないし、かと言って、「え、これ何?」とか「唐突だな」と思うようなことはまったくない。素晴らしく、心地良い鑑賞体験ができる作品だったなぁと思う。

 

 

元カレの今カノが、自分が昔着ていたTシャツを着て登場し、それが後の展開に活きてくるとか、「ときめき」を判断基準にモノを捨てる、断捨離界で有名な「こんまり」のエピソードが盛り込まれているとか、ちょっとした小技を各所に効かせているのも、すごく良かった。

 

ミニマリストらしく、ジーンの衣裳がすべて白のトップス×黒のボトムスというのも、斬新だった。こんなシンプルなコーディネートをおしゃれに着こなしてしまうのは、さすが、9頭身の元モデルだけある。

 

俳優経験があまりない人物を起用した、脇役の配役も素晴らしかった。特に、ジーンの兄役のティラワット・ゴーサワン。彼は、本業がバンドのドラマーで、本作が俳優デビュー作だという。どこか抜けているようで、でも家族のことをよく考えていて、主張しすぎず寄り添ってくれる、そんなニュートラルな雰囲気の兄を、ステキに演じていた。

 

そして、エンドロールに流れた、この曲も作品にぴったりで、帰ってすぐ誰の曲なのか検索してしまった。言葉はわからないけれど、胸にじんわりくる、温かな歌声。

 

 

映画も、音楽も、芸術は国境を超えるなぁと、心から思わされる。私の中で、今年見た映画のトップ5に入るような作品だった。しみじみと心に響く、派手なエンターテインメントにはない映画の良さがギュッと詰め込まれている。

 

 

韓国映画に続き、タイ映画のブームが、これからきっと来るに違いない。