ブルーアワーにぶっ飛ばす

(脚本・監督:箱田優子/主演:夏帆、シム・ウンギョン/2019年)

 

 

30歳のひとりの女性が、友人を伴って地元に帰る。それだけで1本映画ができちゃうんだ!という驚き。しかも、その地元は、東京から車で1時間半もあれば行けてしまう茨城。

 

たった1泊2日の近距離帰省に、こんなにも濃いドラマを描いた監督の箱田優子さんに脱帽。

 

そして、得てして地味になりがちなこの物語に、リアリティと華と観客の心をとらえる世界観を生んだ、二人の主演女優と、脇役の役者の皆さんに拍手を贈りたい。

 

夏帆演じる砂田は、男ばかりの現場を取り仕切るCMディレクター。使えない広告代理店に面と向かって悪態をつき、わがままを言う大御所俳優に手を焼く。

 

のほほんとした優しい旦那さんがいるにもかかわらず、カメラマンと不倫までしている。酒を飲めば愚痴が止まらず、吐くまで酔いつぶれることもしばしば。

 

そんな砂田の口が、ちょっと引くくらい悪い。

 

「うるせーよ」「ふざけんなよ!」「はぁ?知らねーし」「クソが」

 

いろんな意味でハードな業界で、しかもまわりは男ばかり。そんな環境で自分を守るために、舐められないように身についてしまったものかもしれないが、まぁ、口を開けばすべての口調がなかなかの汚さで、見ている側が慣れるのに、若干時間がかかってしまった。

 

心も生活も荒れ果てていたある日、ひょんなことからシム・ウンギョン演じる、友人の清浦と一緒に、数年ぶりに茨城の山奥にある実家へ帰ることになる。

 

父はなぜか骨董品にハマって数百万円をつぎ込んでコレクションしている。母はすっかり耳が遠くなり、テレビに向かって大きな声でひとり言を言うし、大量に買い溜めたおにぎりとカップラーメンを食べる日々。

 

教師である兄は、半分引きこもりのような生活を続けていて、母からは「いつか性犯罪を犯すのでは」と心配されている。

 

まわりに店も何もない田舎の実家と、少しずつ壊れていくように見える家族。小さい頃はここが世界のすべてで、自分は最強だと思っていたのに。

 

東京での私生活も、実家の様子も、理想と現実はかけ離れている。そんなことを強く感じて、砂田はショックを受ける。

 

でも、いつでも天真爛漫で、プラス思考で、誰にでも好かれる清浦の存在に、救われるのだった。

 

荒み切った砂田と、子どものような無邪気さを持つ清浦。主人公2人のキャラクターの対比がこの映画の肝だと思うのだが、夏帆とシム・ウンギョンがそれを見事に表現している。

 

シム・ウンギョンはこれが日本の映画への初めての出演(日本アカデミー賞最優秀女優賞を獲った「新聞記者」の方が、公開は先)なのだとか。

 

嫌味のない、裏表のない性格で、テンションが高くて、社交的。片言だし、日本人の設定ではなさそうだけど、名前は清浦だな、よくわかんないけど、まぁいいか。

 

謎が多いキャラクターなのだけれど、その謎を深追いさせないような、気持ちが良いくらいの不思議ちゃんぶりが、「新聞記者」とはまったく違っていて、すごく良かった。

 

片言なのが、余計、不思議さにマッチしてたし。

 

そして、砂田という役が「今自分が一番やりたかった役とやっと巡り会えたと心から思えた」という夏帆。

 

全然かわいげがなくて、愛想もなくて、いつも自分から他人を遠ざけているけれど、その裏で孤独や不安や、理想と現実のギャップと戦っている、そんな複雑な砂田の心を見事に表現していたと思う。

 

そしてもう1人、この人の存在がこの映画にグッとくる重さを添えたんじゃないかと思ったのが、南果歩だ。

 

閉鎖的な田舎で、来る日も来る日も乳牛の世話をする砂田の母を演じているのだが、あんなキュートな女優が、田舎の普通のおばちゃんにしか見えなかった。

 

なまりの入った言葉はもちろんだけれど、歩き方も座り方も仕草の何もかもが、体のあちこちにガタがきている疲れたおばちゃんそのものだったし、散らかった台所でテレビに話し掛けながらカップラーメンをすするシーンなんて、胸が痛くなってしまうくらい、リアルで圧巻だった。

 

この作品で、夏帆とシム・ウンギョンは、高崎映画祭で最優秀女優賞を獲ったらしいが、個人的には南果歩に賞をあげたい気持ち。

 

思えば、私自身も、実家に帰ると「なんでこれがここに置かれてるの?」「なんでこれをこうしないの?」なんて、いろんなことにイラっとしてしまうことがあるのだが、それはまったくもって勝手な、自己中心的なことなんだよな。

 

家族には家族の暮らしがあって、「これがここに置かれていること」も「これがこうなっていること」も、彼らにとっては日常で、たまにしか顔を出さない私が口を出すのは、余計なお世話なのだ。

 

だけど、なかなかすっきりとは、心の中のエゴは消えてくれない。会う度に老いていくように見える親の姿も、見慣れない。日々忙しく暮らしている自分と同じだけの時間が、家族にも流れているのだということを、どうしても忘れそうになる。

 

こんな気持ちは、親やきょうだいと一緒に暮らしていない人は、少なからず誰でも抱くものなのではないだろうか。

 

そんなセンチメンタルで、利己的で、消化不良な想いが、この映画にはぎゅっと詰め込まれている。変えたくて、でも自分を甘やかしたくて、自分を正当化したくて、もがき苦しむ胸の内も、一緒に。

 

そして、何と言っても驚いたのはラストシーン。「え?どういうこと?」と、理解するまでに時間がかかってしまった。

 

「さようなら、なりたかったもう1人の私」

 

帰り際、ポスターにこのキャッチコピーを見つけ、「なるほど、そういうことか!」と。

 

やられたなー!!!

 

気になる人は、アマゾンプライムでどうぞ。明日7月23日(木)までなら、テアトル新宿で再上映もしてるよ。